2012年8月19日日曜日

2012年トルコの旅 3日目 その2 : エフェソス遺跡 (2)

「2012年トルコの旅」 これまでの記事
1日目 : お初です トルコ航空  2日目 その1 : アジアサイドへ  2日目 その2 : トロイ遺跡~アイワルク
3日目 その1 : エフェソス遺跡 (1)


7月16日(月) トルコ 3日目 その2


アルテミス神殿からバスで約5分ほどの距離を移動し、11:00を少しまわった頃 エフェソス ( ギリシャ語 Έφεσος ※トルコ語では エフェス Efes ) 都市遺跡 Efes Örenyeri に到着。


エフェソスは、紀元前10世紀頃にイオニア ( 古代ギリシャ ) 人により建設された都市国家。
当時は港町 ( 土砂の堆積により、現在は海から離れている ) だったそうです。
やがて東ローマ帝国の支配下に入り、最盛期を迎えますが、6世紀頃に港が埋まりだしたしたことで都市の中心が移動し分散化。 8世紀頃にはアラブ人の攻撃を受けるようになり、東ローマ帝国がエフェソスを放棄したことで、廃墟となっていきます。

遺跡の入口は北側と南側に2ヶ所あり、我々は南側から入場。
ここも暑い… 確実に35℃以上あるぞ。 日陰が少ないので、水と日焼け対策は必須です!


ヴァリウスの浴場
「 ヴァリウスの浴場 」 は、2世紀に建てられたローマ風呂。 おお、テルマエですねっ!
床下暖房もちゃんと施されていたそうです。


上のアゴラ
「 アゴラ 」 は、商取引に利用されたり、集会や宗教行事が行われたりした広場のこと。
このアゴラの広さは、73m×160m。
手前に積んであるのは、発掘された水道管。


バシリカ ( 左右に伸びている列柱部分)
「 バシリカ 」 は、列柱廊に屋根がついたローマ様式の建築物で、商取引や裁判などが行われた場所。


オデオン
「 オデオン 」 は小劇場 ( または音楽堂 ) のことで、収容人数は1,400人。
代表者会議やコンサートなどが行われたそうです。


イオニア式の柱頭

日陰で涼むニャンコ発見!


市公会堂
「 市公会堂 」 は現在では柱が残るのみですが、かつては聖火が灯され、消えることがなかったとのこと。
市民の中から選ばれた者が、聖火を守る要職に就いていたそうです。


大理石 ( もちろん当時のもの ) の石畳を下っていく。


メミウスの碑
紀元前1世紀に、ローマの属国ポントゥスの支配からエフェソスを奪還したのが、ローマの独裁官スッラ。
「 メミウスの碑 」 は、スッラ、息子ガイオス、孫メミウスと三代にわたるエフェソスの統治者を称えて造られたものです。


ここにも日陰で涼むニャンコが!


ドミティアヌス神殿
「 ドミティアヌス神殿 」 は皇帝ドミティアヌス ( 在位 81年~96年 ) を祀る神殿でしたが、96年にドミティアヌスが家臣たちの手によって暗殺された後、取り壊されてしまったそうです。


ニケのレリーフ
クレテス通りに入る少し手前に置かれている 「 ニケのレリーフ 」 。
ニケ Νίκη はギリシャ神話に登場する勝利の女神。 皆様ご存知のナイキの社名はこの女神に由来。 


ヘラクレスの門
「 ニケのレリーフ 」 は、本来はクレテス通りの入口にある 「 ヘラクレスの門 」 のアーチとして飾られていたもの。


3日目 その3 : エフェソス遺跡 (3) へ続く )

2 件のコメント:

エンジニアK さんのコメント...

トルコ編見させてもらってます。
凄く文化的な建造物でギリシャに似てると思ったらエーゲ海に面して繋がっているんですね。
正直トルコはイスラム的なイメージしかなかったのですが、めちゃくちゃ素晴らしい建造物や遺跡があるんですね。
おまけに、食事も優雅で。

アジアとは全く違いますね(笑)

みや さんのコメント...

>エンジニアKさん
トルコとギリシャはお隣同士なので、いろいろ似ている部分はあるみたいですね。
エフェソスは元々ギリシャ人が作った都市ですが、その後ローマ帝国の支配下にあったということもあるので、ギリシャ建築とローマ建築がミックスされている感じが面白かったです。

これがイスタンブール観光になると、かなりイスラム色が出てきますので、楽しみにしていただければ幸いです。

トルコに行くまでトルコ料理はほとんど食べたことがなかった(興味はあったけど)のですが…
肉も魚もあるし、野菜を使ったメニューも多くて、日本人には馴染みやすい感じですよ。