2012年10月11日木曜日

2012年トルコの旅 6日目 その5 : トプカプ宮殿 (1)

「2012年トルコの旅」 これまでの記事
1日目 : お初です トルコ航空  2日目 その1 : アジアサイドへ  2日目 その2 : トロイ遺跡~アイワルク
3日目 その1 : エフェソス遺跡 (1)  3日目 その2 : エフェソス遺跡 (2)  3日目 その3 : エフェソス遺跡 (3)
3日目 その4 : ヒエラポリス-パムッカレ  4日目 その1 : コンヤへ向かう
4日目 その2 : メヴラーナ博物館(コンヤ)~カッパドキア  4日目 その3 : ベリーダンスディナーショー
5日目 その1 : カッパドキア気球ツアー  5日目 その2 : ギョレメ屋外博物館  5日目 その3 : エセンテペ・パノラマ
5日目 その4 : カイマクルの地下都市~ウチヒサルの砦  5日目 その5 : ギョレメ・パノラマ~パシャバー
6日目 その1 : 再びイスタンブールへ  6日目 その2 : 地下宮殿  6日目 その3 : アヤソフィア博物館
6日目 その4 : スルタンアフメト・ジャーミィ


7月19日(木) トルコ 6日目 その5


引き続き 世界遺産 イスタンブールの歴史地区 ( スルタンアフメト地区 ) を巡ります。


スルタンアフメト・ジャーミィの見学を終え、再びスルタンアフメト広場を通り、15:40頃に トプカプ宮殿 Topkapı Sarayı へ。


トプカプ宮殿の入口である 皇帝の門 ( バーブ・ヒュマユーン Bâb-ı Hümâyûn ) から入場。

皇帝の門

1453年にコンスタンティノーブル ( 現イスタンブール ) を陥落させてオスマン帝国の支配下としたメフメト2世が、1460年代にこの場所に宮殿を着工。 その後、何人ものスルタンが増築を重ねていきました。
オスマン帝国の中心地として栄えた場所ですが、1856年にドルマバフチェ宮殿ができて宮廷がそちらに移ってからは廃れてしまいます。
トルコ共和国成立後に修復がなされ、1924年に博物館として一般公開されて、現在に至ります。

かつてここに大砲が置かれていたことから、トプ ( 大砲 ) カプ ( 門 ) サライ ( 宮殿 ) と呼ばれるようになったと言われているそうです。

皇帝の門から、第1庭園を抜け、挨拶の門 ( バービュス・セラーム Bâb-üs Selâm ) をくぐり…

挨拶の門

まずは、トプカプ宮殿最大の見所 ハレム Harem を見学。

ハレムは、アラビア語の ハラム ( 聖域 ) や ハリム ( 禁じられた ) を語源としていて、スルタンの側室や王子が住まう場所。 いわば後宮です。 では入場してみましょう。

ハレム入口
建物外観は派手な色合いはありませんが、中に入ると素晴らしい色合いのタイル装飾が目の前に現れます!


入口を入ると、まず宦官の部屋があります。 宦官はエジプトから差し出された黒人が多く、主にハレムの警備などに当たっていたそうです。

宦官の部屋

宦官の部屋を過ぎると メシュクハーネの門 Meşkhane Kapısı があり、この先に女性たちの部屋があります。

メシュクハーネの門 ( ハレムの主要門 )
カリエ ( 侍女 ) の住居と中庭

ハレムの女性たちにとって重要なのは、男の子を産むことでした。 側室たちの序列は、ハレムに入った順ではなく、男の子を産んだ順だったそうです。
そして彼女たちにとっての最高の栄誉は、自分の産んだ王子がスルタンとなること… すなわち 母后 ( ヴァーリデ・スルタン Valide Sultan ) になること。
母后になると、ハレムの中心にある広い部屋が与えられ、宦官長とともに最高権力者としてハレムを仕切ることができたわけです。

母后の部屋
天井の装飾も美しい!
母后の部屋に、当時を再現した人形がありました。

中庭を抜け、さらに奥に進むと、スルタンや王子の部屋などがあります。

ハレムの中庭

ムラト3世の間
ムラト3世のサロン
王子の部屋

どの部屋も、イズニックタイルの装飾やステンドグラスがとにかく美しい! ここは必見です。


6日目 その6 : トプカプ宮殿 (2) へ続く )

0 件のコメント: