※かつてサッカーに全く興味がなかった私が、こんな事に(笑)なってしまった経緯は
こちら。 → サッカー馬鹿ができるまで (1) 国内編 まあ、たいした話ではございませんが…(^^;)
1994年 FIFAワールドカップ アメリカ大会。
私にとっては、初めて目の当たりにするワールドカップでした。
時差の関係で、中継を直接見られる試合はそう多くなかったのですが、とにかくいろいろな国の試合を見てみたかったので、視聴できない時間帯の試合は、ひたすら録画して見てました。
(しかもまだビデオテープの時代…テープが嵩張ること嵩張ること…(笑))
その時の私は、まだ国ごとのプレースタイルの差を見分けられるレベルではなかったので、ひとまず、気になる選手がいたらそのチームを集中して見る!という戦法(笑)をとっていました。
で、この大会でお気に入りになった選手はというと…
まずは ルーマニア代表 ゲオルゲ・ハジ。
背番号10を付けたハジの、パスセンスやら決定力やら… とにかく目を引きました。
「うおぉ凄い人がいるっ!」 (@△@;)
優勝候補と言われていたコロンビアにグループリーグで快勝したり、決勝トーナメントでアルゼンチンに勝ったりと、この大会で大躍進したルーマニア。 その原動力になった「東欧のマラドーナ」ハジのプレーは、まだサッカー初心者の域を出ていなかった私には、ものすごく刺激的でした。
ルーマニアと同じグループだった コロンビア代表 カルロス・バルデラマ。
金髪のアフロヘアという独特な風貌が目を引いたこともありますが、何よりもあの正確無比なパス!
コロンビアの攻撃のほとんどが、バルデラマを起点としていましたね。
全てがインサイドキックだったというのも印象深い。
それから スウェーデン代表 ヘンリク・ラーション。
この時のスウェーデン代表は、ケネット・アンデション、ブローリンなどが主力でしたが、私の目は完全にラーションに向いてました。
ラーションといえば、スキンヘッドのイメージが強い方も多いと思いますが、当時は長めのブロンドをドレッドにしてまして、それを振り乱して走る姿が…めっちゃカッコ良かったんです~! (*^^*)
結局、この後私は、ラーションを引退するまで追いかけることになります。
こんな状態でしたので、準々決勝でスウェーデンとルーマニアが対戦した時は、実に複雑な思いでした。
だって、ハジとラーションのどちらかが、この大会からいなくなってしまうんですよぉ…(泣)
結局、1-1 で延長戦に突入、延長戦でも 1点ずつ入って決着がつかず、PK戦でスウェーデンが準決勝へ進出することに。
スウェーデンは準決勝でブラジルに敗れてしまいます… が、3位決定戦でブルガリアに勝利。
思えば、現在まで続いている私の「スウェーデン代表びいき」は、この大会から始まったんでした。
この大会の決勝は、ブラジルとイタリアの対決。
そう、PK戦までもつれこみ、最後ロベルト・バッジオが外してブラジルの優勝が決まった…あれです。
こうして、私にとって「世界のサッカー」への足がかりとなったワールドカップが閉幕。
実は私、この段階では、イタリアというと、この「代表がW杯アメリカ大会PKで敗れて準優勝」の印象くらいしかなかった(失礼!)のですが…
それでも、この年の秋からセリエA(1994-95シーズン)を見始めることになります。
セリエAの前知識もほとんどない状態だったにもかかわらず、見てみようと思ったのは、何といってもカズがジェノアに移籍し、日本人初(アジア人としても初)のセリエAプレーヤーになったから。
で、カズのセリエAデビュー戦の対戦相手が、ACミランだったというわけで…。
(カズはこの試合でフランコ・バレージと激突、鼻骨骨折などで約1ヶ月の戦線離脱を余儀なくされる。)
セリエAを見ようと思ったきっかけはカズだったのに、この試合でACミランというチームが気になるようになってしまったという…(笑)。
ACミランといえば、1991-92 ・ 1992-93 ・ 1993-94 シーズンでセリエA 3連覇を果たしていたわけですが、私が見始めたこのシーズンは、栄光の「グランデ・ミラン」の原動力だった「オランダ・トリオ」を、残念ながらもうリアルタイムには見ることができない状況でした。
フランク・ライカールトは1993年にアヤックスへ移籍
ルート・グーリットはサンプドリアから返り咲いたもののシーズン途中で移籍
マルコ・ファン・バステンは既に怪我で出場できない状態
「オランダ・トリオ」のプレーはビデオや本などでしか知らないという悲しさ… (TдT)
結局 1994-95 シーズンのミランは4位に終わって、ちょっとした肩透かし感…(笑)。
そんなこんなで、ミラニスタ歴も今シーズンで17年目になるわけですが、その間にスクデット獲得を見届けることができたのは…
1995-96 (監督 ファビオ・カペッロ)
1998-99 (監督 アルベルト・ザッケローニ)
2003-04 (監督 カルロ・アンチェロッティ)
実はこの3回だけ…。 ゆえに、ミランのスクデット獲得が現実味を帯びてきた今シーズン、私の鼻息が日増しに荒くなっていくのも (。`д´)=3 ご理解いただけるかと(笑)。
セリエAを見るようになってから、徐々にイタリア代表を応援するようになっていった感じですね。
松井大輔のファンになったのは、海外移籍後です。
京都パープルサンガ時代は、試合を見る機会があまりなかったこともあり、特に気に留めてはいなかったですね。
2003年元日の天皇杯決勝にいたっては、鹿島アントラーズの優勝を阻んだ側でしたし(笑)。
松井大輔がル・マンに移籍し、ル・マンがリーグ・アンに昇格した後、スカパーでたまたま試合を見たのが、ファンになるきっかけでした。
「ああ、フランスに行ってる日本人選手がいたっけ…」くらいの気持ちで見始めたので、どの対戦カードだったのかは覚えていないのですが、
「日本人らしくないプレーをする選手だなぁ。 見てて楽しいや!」
と、いつのまにやらお気に入りになってしまっていたわけです。 Le soleil du Mans (^^)♪
気がつけば、プレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラ、ブンデスリーガ…と、どんどん裾野が広がっていき、今日に至っております。
また今回も、昔話に長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。 m( _ _ )m
こんなサッカー馬鹿ですが、今後ともよろしくお願いいたします。 ← 何の挨拶?(笑)
2 件のコメント:
うわぁ、情熱がひしひしと伝わってきます!
イギリスにいたとき、地元の弱小チームを応援して毎週末スタジアムかパブに行っていた友人がいましたが、彼も、心からサッカーを愛してましたね。
確か「理屈じゃないんだ、愛なんだ」と言っていました。
みやさんのお話を読んで彼を思い出すくらいですから、みやさん海外ファンに一歩も引けをとりません。みやさんたちが、日本のスポーツを支えていらっしゃるのだなあ。
いやはや、尊敬しました。はい。これからも日本のスポーツ発展に貢献してくださいませ!
>ピッコラさん
いやいや、褒めすぎですって!(^^;)
「どこへでも足を運ぶぜ!」という、私なんぞより情熱的サポーターの方はたくさんいますから…。
(まあ、できることなら「どこへでも足を運ぶ」生活をしたいのはやまやまなのですが、お金と時間が許さない(笑))
でも「理屈じゃないんだ、愛なんだ」というのは、なんか分かる…。
前にもちょっと書きましたが、ミラニスタが掲げていた
「Tu sei tutta la mia vita.」
と書かれた横断幕を初めて見た時に、意味を調べて「ああ、それそれ!」と共感したのは確かです。
私なぞの貢献度はたいしたことはないと思いますが…
そう言っていただけるのは嬉しいです。 Grazie mille!
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